きれいなものを、みつけに ー小豆島ガールー

小豆島で輝く女性の「きれいなもの」がいっぱい!

私時間

6年前の夏、小豆島にやってきた私たち家族の話。

6年前の夏、私たちは小豆島に移住する事を決めた。そして2011年9月末、ビッグダディと同じ月に小豆島に移住してきた。6年経って、最近新しい仕事を始めて、初めて出会う方たちも増えて、「どうして小豆島に移住したのか?」を改めて聞かれることが増えたため、私たち家族の話を書いてみようと思う。

◆引っ越した直後に撮った家族写真。当時土地勘がなかった為どこの海岸なのか覚えていないが多分内海~坂手方面。

私自身は、愛知県名古屋市出身の32歳だ。両親と妹の4人家族で育った。小学校の頃の習い事は、ピアノ・習字・絵画・英会話・スイミング。そして母お手製のドリルを1日数ページやらなくてはならず、小学校2年生の時の絵日記に「今日は、おえかきのおけいこがあったので、●●ちゃんと40分だけ遊びました」と書いてあったのを最近見つけ、驚愕したものだ。妹は要領が良かったが、長女である私は要領が悪く、母に言われたことは何でもやっていたのだと思う。小学生の頃から、テレビで見る自然豊かな生活に漠然と憧れ始めた。

社会人2年目、23歳で結婚・24歳で出産。理想としては自然豊かな場所で暮らしたいと思いながらも、漠然と現実的には両親のいる地元で会社員を続けていくと思い込んでいた私に「なんで?」と問いかけたのは夫だった。彼は自由人だった。都会の子育ては、遊ぶ場所・遊び方・声の大きさ等子どもに制限をさせる事が多く、私も夫と過ごす事でリミッターが外されかけていた事もあり、「環境を変える事で子どもが子どもらしく生きられるなら」と思うようになった。夫婦とも瀬戸内が好きだった事もあり、土日の度に、色々な場所を見て回り、最後にたどり着いたのが小豆島。正直、色々な場所(岡山・広島・山口・愛媛・香川と色々な場所を見ました)を見過ぎて、どこも一緒に見えてきてしまっていた中で、フェリーから海と山と空を見た瞬間、直感的に「ここだ」と思った。調べていくと、学校・病院・スーパーなど生活環境も良く、若い世代がインターネットを通じて様々な情報発信をしていて活気を感じられ、ここなら子どもを育てられると思った。ちょうど8月にオリーブ公園である就職説明会に夫が参加し就職先が決まり、現在の家も見つかり、 2011年9月、次男を妊娠8か月の26歳の時、産休前に上司に「高松で復帰できるように頑張るので籍を残してほしい」と頼み込み、大変勝手ながら小豆島に引っ越した。名古屋で私が最後に出社した日の夜に夫から手紙(!!)を貰って、そこには「今までお疲れ様でした。これからは(私は)主婦するのもいいと思っているよ」と書いてくれていたのだけれど、いざ暮らし始めてみると家賃と保育料で10万円越えの事態にその選択肢は無くなり、生後1ヶ月の子どもを抱えて復帰に向けて奔走し始めた。たまたま友達になった(小豆島ガールの)fullが、仕事の関係で私の会社の小豆島担当者を紹介してくれ、そこから色々な人に会い、次男が生後4か月の頃、高松で別部署に復帰させてもらえることが決まった。

◆復帰1ヶ月後の子どもの日。初めて床の間のある家に住んでワクワク。小豆島に来て8か月後


◆地区の組で鳴門に日帰り旅行。小豆島に来て約2年後

当時は、長男と次男の通った保育園が別々だった事もあり、毎日がバタバタ。特に、私に出張等が入り16時半の高速艇に乗れない時は、夫が保育園に迎えに行って夜ごはんを食べさせお風呂に入れ、最終便で22時過ぎに帰ってきた私とバトンタッチをしてまた会社に戻り、日付が変わった頃に帰ってくるという生活を2年間続けた。

◆吉田キャンプ場にて。去年はふるさと村でもキャンプしました。

ちなみに今戻れるとしたら一番戻りたい時間がこの頃。なんと夫はこの頃の子どもの記憶が無いらしい。この時、理想の暮らしを求めながらも、子どもたちには寂しい思いも沢山させたと思う。小豆島に移住者が増え出す少し前の時期で、周りはおじいちゃん・おばあちゃんが近くにいるご家庭ばかり。どんなに頑張っても、よそのご家庭と同じようにする事はできず、私たちの子育ての仕方を見かねた担任の先生から「お母さん、お仕事をやめられませんか?」と言われた。夫婦で働き方を見直しその時は夫が会社を辞め、時間に融通が利く自営業になろうと2016年7月ごろ移動販売でピザ屋を始めた。(ちなみに移動販売に決める前は、店舗を構えようとしていた時期もあり、古家付の土地を買い、自力で古家を解体し終えた所で、店舗を構える事に頓挫。まだ土地は売れておらず、数年後に我が家のメンズで手作りの家を建ててくれるらしい…)そういえば「島の人?」と聞かれると、超自由人の夫は否定をしないらしく(注:小豆島の言葉では、島の人=島出身の人を指す)、とうとうお客様のブログに「穏やかでのんびりと人の良さそうな感じは、いかにも小豆島人って疑いもなく思ってしまう」と紹介されていた。彼は埼玉生まれ・千葉育ちなので、妻として謝罪をしておきたい。脱線から戻ると、近くに親戚がいない環境での子育ては本当に大変だったけれど、地域の中で育ててもらえる事が本当にありがたく、何物にも変えられないと思っていた。

◆車の前でパシャリ。ピザ屋を始めた時が、小豆島に来て4年弱が経っていた。

 一昨年の三男出産後、結果的に私も夫に追随する形で会社員を辞め、昨年4月に個人事業主として独立、今年4月に法人化。小豆島に来て約6年経ち、ようやく目指していた暮らしを手に入れた感じがある。17時半ごろ夫婦で子どもたちを迎えに行って、そのまま遊んだり散歩したり。19時前には家族全員そろって食事をして、夜はきちんと寝る。人間らしい、私たちらしい暮らし。地域で暮らす責任(?)として、地区の消防団・青年部・太鼓祭り役員・広報配布係・PTA役員・子ども会役員など、結構忙しい。地区の仕事は、一家で分担するのだが、移住者の私たちは夫婦で受けることになる。見かねた近所の方が、子育て家庭(少ない…)で受けるべき他の仕事を引き受けてくださったりもしている。昨日、たまたま子ども会の日帰りキャンプで余島に行った。小学生17人に対し大人18人。点呼している間にお父さん達がテントを張っている。足がつかない所に行く子どもがいれば、自然と近くの大人が泳いでいく。小さい子たちのシャワーを順番に済ませる。高学年の子たちが幼稚園児の面倒を見てくれる。子どもたちもそれが当たり前だから、自分の親というよりは、その時近くにいる大人を頼っている。地域で子どもを育てられるこの環境が好きだなぁと実感する。

◆3人目が誕生。ちなみに下の子2人は内海病院にて誕生。小豆島に来て4年弱。

◆春~秋にかけては毎週海へ。小豆島に来て4年目から現在。

◆平日の夕方。この日は近所を家族で散歩。小豆島に来てから6年後

 私たちの家族は、6年経ってやっと自分たちの足で歩き始めた感じがある。それは多分、自分たちの中の色々なできない理由を捨てた事、それから岐路が現れた時に自分たちにとっての最良だと思う方を選んできた事が要因だ。もしも経済的にもう少し余裕ができてから移住してきていたら、こんなに遠回りはしなかったのかもしれない。ただその場合は、子どもたちの幼少期に、この島で子育てできる事はできなかったように思う。長男と次男は、来週から都会のおばあちゃん家に帰省する。おばあちゃん家に行くと「人が多い」と言っているのが面白い。あの時描いた未来を、やっと家族で歩き始めた感じがあります。
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