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島仕事, 食材をみつける

“醤油屋自ら作った新桶”に初仕込み

戦後にこんなことが起きると想像した醤油屋はあるでしょうか?
1月28日に“醤油屋自ら作った新桶”に、いよいよ醤油が仕込まれました。
(上の写真はヤマロク醤油さんより)

翌日もドキドキワクワクしながらヤマロク醤油さんへ。
凛とした新桶の中で、仕込まれたばかりのもろみが静かに眠っています。
「漏れてはいませんか?」「おう!漏れてないで」
よかった。大丈夫と信じつつ目で確認できると嬉しくなります。


実は、大きな木の容器を作ることはできても、
漏れないようするには桶屋の技が試されるのです。

さて、“醤油屋自ら作った新桶”って何?という方もいらっしゃるでしょうから、
この試み「木桶職人復活プロジェクト」の背景をご紹介しましょう。
これからの「日本食」においてかけがえのないプロジェクトです。

戦争が始まるまでは、全国大小の蔵々で木桶で国産丸大豆を仕込むのが当たり前だったのですが、戦争を機に醤油造りも機械化が進みました。
油の安定配給も目的に、醤油の原材料は「脱脂加工大豆」という大豆から油を抜いた安価なものを使うようになり、仕込む容器も温度管理できる大型のタンクで短時間で大量に仕込むようになりました。安価な醤油は今も多くの人々から支持され、いろんな流れを起きようとも「便利&安価」な調味料は増えています。

ふと気づけば、非効率ながらも伝統的な桶仕込み醤油の量はなんと1%を確実に切っていました。
仕込む為の大桶を作れる職人も大阪の堺に1社だけ。その桶屋がもしなくなれば、私たちのひ孫頃は桶仕込のいわゆる「伝統的な醤油」で味付けできなくなります。


そんな中、この伝統ある醤油を子孫に残そうとヤマロク醤油5代目の山本康夫さんは、桶屋に桶を3本発注。そして自ら作ろうと腕の高い大工2人を口説いて、昨年1月に桶屋に修行に行きました。桶職人から直々に学びながら一心不乱に材木から削って組上げた桶が、今はヤマロク醤油さんの蔵に佇んでいます。そして、今でも醤油造りの合間に時間を作っては桶作りを練習しています。

桶仕込のお醤油は造り手の姿勢がそのまま出てきます。
古代から続く魂の調味料を私は消したくないと、微力ながら応援しています。



さて、今回仕込んだ“醤油屋自ら作った新桶”で仕込んだ醤油は、2年半後に「新桶初搾り」として、皆様方の食卓にお届けできる予定だそうです。楽しみですね!

kelly

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[参考]
四国びと「木桶でつくる島の醤油屋。孫やひ孫に本物の醤油を受け継ぐために今できること。
職人醤油.com「木桶職人復活プロジェクト