きれいなものを、みつけに ー小豆島ガールー

小豆島で輝く女性の「きれいなもの」がいっぱい!

私時間

島で子育てをするということ~zum日記

私が小豆島で好きな光景のひとつに、最終フェリーで帰ってくる人たちを迎えに来る車の明かりがある。高松を20時20分の出発し、土庄港に21時20分ごろに到着するフェリーには、いつも十数人の、高松の高校に通う高校生たちが乗っていて、円卓で勉強したり、おしゃべりしたり、ソファで寝ていたりと「頑張っているんだな」と感心させられる。そして、彼らを支えているのがご両親。高校生って多感で、特に男の子は、親と一緒に歩くことさえ恥ずかしい時期だったように思うが、島では、親の送り迎えなくして、高松の高校には行けない子たちの方が多いと思う。だから、「おかえり」と迎えに来る車を見ていると心が温かくなる。

島で子育てをはじめて2年半。自然の豊かな場所で理想だと思っていた環境にいる一方、本当にしんどくなるときもある。それは、「島の当たり前」の物が私たちにはないことだ。陸続きの町と比べ、島には転勤で入ってくる人の数が圧倒的に少ない。それは、ほぼ全ての人たちが、親の近くで暮らしていることを指す。当たり前だけれど、多くの子育てのシステムが「おじいちゃん・おばあちゃん」がいて、「家」があることを前提にできている。家賃を払って、保育料を払って、夫と私が働いて、それでも多くの家庭で問題とならない保育の壁が私たちにはある。先日、雪が降って、保育所が休園になった。年度末に、翌年の準備とかで数日休園になるときもあるのだが、こういうときも多くの家庭でおじいちゃん・おばあちゃんが見てくれるのかなと思う。病気であれば病児保育があり、こちらは都会と違って、満員になって入れないということも少ないのは良いポイントだ。病気のときも、おじいちゃん・おばあちゃんが診てくれる家庭も多いのだろう。何か月か前に、私が出張のときに、子どもが体調が悪くなりそうで、病児保育は17時過ぎには閉まる(内海病院オリーブキッズは17時まで、土庄中央病院げんきっこは17時15分まで)ので、夫だけでは対応ができないという判断で、子どもたちを実家に預けたことがある。その後、発熱し、生活自体は乗り切ったのだが、病気の子どもを親から離して預けたことを「かわいそう」と言われたりした。そのことに対して、「かわいそうなことなのか?」と自問自答を続けた。確かに、昔は私もそう思っていた時期がある。でも今は、いちいち気にしていたら、ここでは暮らしていけないという次元の感情に達している。つまり、私たちはここでの暮らしを手に入れるために、捨てなければならない色んな感情もあり、「自然豊かな場所でのびのびと子育て」している裏には、必死でもがいている実情もある。1年後に長男が小学校に上がる。今度は、長期休暇の学童保育が午前中しか空いていない問題に直面する。私たち夫婦は、何度も話し合いを重ね、ここで生きていくために、働き方を変える決断をした。夫婦がふたりともサラリーマンでは、私たちのような家庭は、ここでは生きられないとの判断だった。
こういうディープな話をこういう場で書くか悩んだが、書くことを決めたのは、メンバーのひとりが「小豆島の課題としてすごく重要になるから声をあげたほうがいいよ」と言ってくれたことだった。時に泣きたくなるような日もある。それでも私が選んだのは、この島で子育てをするということ。この島で子育てしたいから-。前を向いて、今日もやるべきことをやる。今は、ただ、それだけ。

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